プロフィール

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はじめまして、たび男と言います。

1988年に北陸の石川県で生を受けた男子です。

このページを見てくれた人は、おそらく少しでもたび男という人間に興味を持ってくれた人だと思いますので自己紹介をしたいと思います(興味がなかったらすぐページを閉じてください笑)。

たび男は小学3年から大学4年までずっと野球をやってた生粋の野球小僧です。

大学もサークルじゃなくてちゃんとした部活動ですよ笑

小さい頃の夢はプロ野球選手で野球で飯を食って行きたいと思っていたくらいでした。

野球だけでなく、スポーツ全般は大好きで特にサッカーとバレーボールはちょっとだけ上手いです笑

それでは、たび男について少しずつ分解していきたいと思います。

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基本的な性質

趣味

趣味は旅行に行くこと、スポーツ観戦、麻雀です。

旅行が好きなのは、小さい頃は毎年両親が家族旅行に連れて行ってくれたからというのが大きく影響していると思います。

麻雀は大学4年の時に本格的に始めてそれ以来ずっとハマっています。

自分の実力を知りたくてこの前大会にも参加したくらいです。

これまでの旅行遍歴

行き先
20113アメリカ(NY、ワシントン)
11フランス、スペイン、イタリア、バチカン市国、スイス、オランダ
20129香港、マカオ
2012-201312-1インド
20132シンガポール、インドネシア
3アメリカ(ロサンゼルス、サンディエゴ、ラスベガス)、メキシコ
8香港、マカオ
20145韓国
5-7日本一周
7台湾
8タイ、マレーシア、シンガポール
20175中国(上海)
20185イギリス、ベルギー、ギリシャ
6ベトナム
6韓国
10香港、マカオ
20192フィリピン・セブ島
10ハワイ

得意なこと、苦手なこと

得意なこと

得意なことは旅行の計画を立てることと、あとは暗算です笑

小学校の頃にそろばんを習っていたお陰で今も簡単な計算だったら暗算でやってしまいます。

苦手なこと

反対に苦手なことは大勢の人の前で話すこと、人と群れること、あとは受動的なことです。

受動的なことというのは、例えば、興味のない授業や研修を受けることです。

学校での授業で化学や数学は好きな教科だったので積極的に授業に参加していたんですけど、国語や社会は面白くなかったのでクラスで1番前の席だろうが寝ていました。

当然、先生に怒られるので寝ないように頑張ってはみましたが、興味が持てないものに対しては途端にスイッチが切れる性質があります。

本当に自分がヤバいやつやなと感じたのは、社会人1年目の研修で外部の人を招いてお話をしてもらっている時に7人くらいの少人数であったにも関わらず、開始5分くらいで寝てしまったことです。

これは研修担当の人から「お前にペットボトルを投げつけてやろうかと思った!!」
と言われるくらい怒られてしまいました。
めちゃくちゃ失礼だと分かっているのですが、どうにもならなくて、、本当にすいませんでした( ̄∇ ̄)

テレビも受動的なものなので、テレビを観なくても生活できちゃいます。
月に一度もテレビをつけないこともありました。

学歴

・公立小学校
・公立中学校
・公立高校
・国立大学
・国立大学大学院

学歴に関してはたび男はコスパも良いしめちゃくちゃ親孝行だと思います笑
塾も高3の半年間だけしか行っていません。

経歴

大手企業の食品メーカーで工場勤務

20人規模のHP制作会社でWEBディレクター兼HTMLコーダー

50人程度の旅行会社で営業

取得資格

・総合旅行業務取扱管理者
・日商簿記2級
・乙種第4類危険物取扱者

たび男の歴史

幼少期


多くの子どもが大好きなウルトラマンや〇〇レンジャーのような戦隊ものには全く興味を示さず、トーマスが好きなヤンチャな子どもだったと聞きます。

今はなきポンキッキーズという番組にあるトーマスのコーナーを何よりも楽しみにしていたそうです笑

保育園にあるお絵かき帳には、いつも数字を書いていたらしく、それは見た母親がそろばんを習わせようと思ったと言ってました。

両親は共働きでしたので、じいちゃん、ばあちゃんと過ごす時間が長く、今でも色んな想い出が残っています。

ひたすら同じ友だちと遊ぶ【小学校】


小学校は6年もあるから色々あったなぁと今振り返ると思います。

でも、1番の想い出といわれると放課後にいつも同じ友だちと遊んでいたことかな。

小学校2年から毎週火・木はそろばんを習っていたので、毎日は遊べなかったけどそれ以外の平日はほぼ毎日のように家に行っていました。

遊ぶ内容は、スーパーファミコンと野球。

よくもまぁ飽きずにずっと同じ遊びを同じ友だちとしていたかと思います笑

 

さっきもちょこっと書きましたが、小学2年から小学6年までそろばんを習っていました。

そろばんは元々祖母がそろばんの先生をしていたのでその影響も大きいかと思います。

そろばんを始めたおかげで友だちよりも早く九九を覚えましたし、暗算も得意になったので小学校の算数の時間は少しばかりヒーローになった記憶があります。

暗算は今でも使えますので本当に習ってよかったと思っています。

(ちなみに今の子たちってそろばんってわかるのかなぁ?)

 

最後はなんといっても野球ですかね。

部活動としては小学3年から始めましたけど、物心がついたときからバットとグローブを触っていましたし、土日は父親とキャッチボールをしていましたので、部活に入ったからといって『野球を始めた!』って感覚は一切なかったです。

野球をしてないときでも家ではいつも巨人戦の野球中継をテレビで観ていましたので本当に野球漬けだったと思います。

たぶん父親は僕を野球選手にしたくて野球を覚えさせたんだと思いますが(丁度、ゴジラ松井の人気も凄かったですからね!)、野球選手にはなれなかったですけど、時間を忘れて熱中できることを教えてくれて本当に感謝しています。

野球only【中学校】

中学校の3年間は野球しかしていないです。

公立校なのに練習も本当にハードで、入部したときには部員が15人くらいいたのですが、辞めるときには半分以下の7人になっていました。

僕も何度も心が折れそうになりましたけど、最後まで続けて本当に良かったと思っています。

厳しく指導してくれたコーチは、超有名中学の出身ということもあり、非常に質の高い野球を教えてくれました。

また、野球だけでなく私生活も厳しく指導してくれ、例えば、当たり前なんだけど学校の規則をちゃんと守るとか、勉強しないやつは練習に参加させないとか、人間的に成長させてくれるコーチでした。

このコーチのおかげで大学4年まで野球を続けることができたのかと思っています。

野球ときどき勉強ときどき恋【高校】

高校時代も生活の中心は野球でした。

ハードな練習が相変わらず続いたので、テスト休み期間が唯一の落ち着ける時間でした。

が、県内一の進学校に進んでいたこともあって、中学時代と違いテスト休み中はしっかりと勉強をしなければいけませんでした。

でも、テスト休み中だけ勉強して上手くいくほど甘くはなくて赤点連発でしたけどね笑

一方、野球はというと1年生のときに思いがけずピッチャーにコンバートしまして、それから野球を辞めるまでピッチャーを続けました。

これまでは経験したことがないポジションでしたが、自分にとって本当に天職のポジションに感じました。

試合に勝ったらピッチャーのおかげ、負けたらピッチャーのせい、自分の力次第で勝敗が左右されるポジションに魅力を感じてました。

高校野球の聖地である甲子園を目指して練習を続けていましたがあと一歩届かず引退しました(決勝で負けました)。

高校野球が終わった後は本腰を入れて受験勉強です。

東進衛星予備校という人生初の塾に通いながら、たまには高校1年から付き合ってた彼女と教えあいながら、平日は学校が終わってから23時まで、休日は12時間以上の勉強を続けました。

そしてなんとか国立大学の工学部に合格できました。

人生に迷う【大学・大学院】

たび男の人生の暗黒期です笑

正直ここまでは人生が上手くいってたほうだと思いますので神様が苦労しろと言ったんだと今なら思えます。

ただ、当時は、勉強も分からない、友達もできない、大学も楽しくない、野球も上手くいかない、彼女にもフラれるといったことが重なりましたので人生が全く楽しくなかったです。

上手くいってないといえど、野球をしている時は余計なことを考えずに済んだので比較的気は楽でしたが、部活が終わって1人になるといつもネガティブなことをかんがえていたような気がします。

学校も次第に行かなくなり、当然のように単位も落とすようになりました。

バイトで家庭教師と塾講師をしていましたが、バイトと部活以外は家でゲームをずっとしているいうまさに廃人の生活をしていました。

このときは本当に病んでましたね

病むとその期間の記憶って残らないみたいで、調子がおかしかった大学1年から3年までの間の記憶ってほぼないです。

普通の大学生だと飲みにいったり、旅行に行ったりして大学生活を謳歌しているというのに。

大学4年からは少しずつ回復してきまして、色々楽しめるようになってきました。

でも、勉強をしてこなかった漬けが回ってきていて、大学院入学試験、通称院試と呼ばれるものが差し迫ってきていました。

留年する危うかった僕が院試に受かるはずないと周りからも思われており、でもその評価は正しいよねと自分も思いながらも、大学入試以来の猛勉強を始めました。

約3年もの間、ちゃんと勉強をしてこなかった代償は大きく、不安になることも多かったですが、どうやら僕は運が良いらしく合格することができました。

それも合格者の中で最下位の点数で!!

不合格者の最上位の人とは1点差でしたので、自分自信の運の強さに少し震えました

大学院生になってからは旅行、特に海外旅行にハマり、休み過ぎて教授に怒られるくらい様々な場所に行きました。

大学4年から覚えた麻雀にもずっと大好きで今でも仲間で集まって卓を囲んでいます。

計6年間あった大学生活のうち、前半は面白くなかったですけど後半は充実していたと思います。

社会人

北海道時代

大学院を卒業したら東証一部上場の食品メーカーに入社しました。

東京に本社がある企業でしたが、配属された地域は北海道のド田舎!でした。

そのド田舎で約10年くらい働き続けることが濃厚で、かつ、その後にまた東京に戻れる保証もなかったので1年でスパッと辞めました。

仕事内容は工場勤務でしたので、高所で命綱をつけながらネジを締めたりラインオペレターをしてたりしていました。

室外で仕事することもありまして、夜勤中に氷点下18℃のなかでの作業は寒すぎて意識が飛びそうになりました笑

HP制作会社時代

新卒で入社した会社を辞めたあと、レンタカー日本一周と職業訓練校でHP制作の基礎を学んだ後にHP制作会社に入社しました。

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入社後はHTMLコーダーとしてまず働いていましたが、半年後にWebディレクターに昇格しました。

Webディレクターになると業務量が格段に増えて、どんどん帰る時間が遅くなりました。平日は終電まで仕事をし、それだけでは足りなくなってきたので、休日もパソコンを開くようになっていました。

そのうち残業時間が100時間を超える月が連続しましたが、裁量労働制という理由でで残業代は一切出ませんでした。

社長に相談すると、「なぜ、あなたの仕事は終わらないのか スピードは最強の武器である」という本を渡されて終わりました笑

残業が当たり前の状態が続くようになると、何事にも余裕がなくなってくるようになり、人に冷たくなったり、物事が覚えなくなってくるなど色々とマイナス面が目立つようになってきましたので退職することにしました。

現在

現在は旅行会社で働いています。

この会社は前職であるHP制作会社の取引先であり、僕が前の会社を辞めるときに声をかけてもらいご縁があって今働いています。

旅行会社といえども、前職で培ったWebの知識は役立っており、その経験を活かしながら働いています。

ワークライフバランスも非常に取れていますので、長期休みがあれば大好きな旅行に行ったりこのようにブログを書きながら生活しています。

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